私たちの園についてわがまち散策歴史とロマンを伝えるまち
   ■葦分神社東方遺跡(あしわけじんじゃとうほういせき)
     
   茨木みのり幼稚園の南約900m付近にある葦分神社東方遺跡は葦原小学校を中心に200mぐらいの範囲にあり、東は高瀬川ぐらいまで西は府道八尾・茨木線を越した沢良宜浜3丁目付近まで、北はJR貨物線を境にしたあたりまで、南は光善寺の南側付近までと考えられています。
遺跡から出土した「て」の字状口縁の土師皿などの遺物から葦分神社東方遺跡は平安時代中期(11世紀中)ぐらいに集落が成立したものと思われます。その後、鎌倉時代中期(13世紀後半)に発展し、光善寺の石造品から鎌倉時代末から室町時代前半には現在の島1丁目及び2丁目付近に集落の中心が移っていったものと思われます。そして中世後半から近代初頭には水田になっていたと思われています。
遺構としては13世紀後半を中心とする集落跡の一部が検出され、柱根を残す柱穴の存在からまちがいなく数棟の建物群を構成していたものと思われています。
 
  調査区全景東側
 
      調査区全景西側
 
   出土遺物では土師皿をはじめ、13世紀後半の和泉型瓦器椀を中心とする遺物が出土しました。特に、輸入陶磁器のうち、青磁に較べて圧倒的に白磁碗の出土量が多く、茨木市南部地域の特色なのか中世における物資の流通も含め興味深いものです。
また特徴的な遺物として、溶解した金属滓の付着した「ルツボ」が出土しました。このことはこの集落の中で鍛冶生産をしていた証拠となりました。

参考資料:茨木市教育委員会「葦分神社東方遺跡発掘調査概要報告書」