私たちの園についてわがまち散策歴史とロマンを伝えるまち
   ■東奈良遺跡(ひがしならいせき)
     
     
     茨木みのり幼稚園の西約400m付近にある東奈良遺跡は弥生時代(B.C2~3世紀)からはじまる大集落で、北は奈良町、南は沢良宜西、東は元茨木川(現さくら通り)西は大正川までの、南北約1.4km、東西1.0kmの広がりをもっています。
東奈良遺跡では、集落の周りを大きな溝(みぞ)で囲んだ「環濠(かんごう)」をもつ二つの「ムラ」が発見されています。その内部からは、住居の跡とみられる多くの柱穴や木材を貯蔵するための土壙(どこう)、煮炊きや貯蔵用(ちょぞうよう)として使われた甕(かめ)や壷(つぼ)、鉢(はち)、高坏(たかつき)などの土器類、農耕のための鋤(すき)、鍬(くわ)などの木製品やその道具を生産するための、のみや斧(おの)などの石器、また石包丁(いしぼうちょう)と呼ばれる稲穂を刈り取る道具など、多くの遺物が発見されています。
  東奈良遺跡全景  
   
  方形周溝墓
(ほうけいしゅうこうぼ)
   
     
  弥生時代の土器    

 

  特に昭和48年から翌年にかけて出土した銅鐸(どうたく)の鋳型(いがた)は、東奈良遺跡が弥生時代の大遺跡として、全国的にその名が知られるようになる発見でした。そしてここでつくられた銅鐸(どうたく)が香川県善通寺市や大阪豊中市、兵庫県豊岡市で見つかっています。
 その後の調査で銅鐸の鋳型のみならず銅戈(どうか)や勾玉(まがたま)の鋳型のほか、鞴(ふいご)の羽口(はぐち)などの鋳造(ちゅうぞう)に関する遺物も出土したことから、この遺跡が当時貴重であった「金属」を扱うことのできるムラとして、これらを造った技術者やその関係者など多くの人びとが住んでいたと考えられています。
 
第1号流水文銅鐸鋳型