私たちの園についてわがまち散策歴史とロマンを伝えるまち
   ■弥勒堂(みろくどう) 所在地:茨木市水尾4丁目2番48号
   茨木みのり幼稚園の北東約700mに弥勒さんと呼ばれるお堂があります。この地はかつて
  紫雲山西方浄土寺(しうんざんさいほうじょうどじ)という大寺院の中央部にあたるといわれています。

 
   この浄土寺は古く天平9年(737年)行基の開創した七堂伽藍を備えた大寺院でここを中心として半径1kmの範囲にその子院と思われる瑞光寺(ずいこうじ)、浄楽寺(じょうらくじ)、上免寺(じょうめんじ)、心願寺(しんがんじ)、迦称寺(かようじ)、慶明寺(けいめいじ)など、また堂ノ前、堂ノ後や経田、八光田など寺にかかわる地名が昭和43年の住居表示がされるまで土地の人々の小字名として使われてきました。また水尾小学校の敷地は大工垣内(だいくがいち)で同寺の建築や修復を担当した建築家の居住区と宛歩地であったといわれています。  
       
 
釈迦涅槃図
   しかしこの大寺院は明徳年間(1390-94年)に高野山との確執で敗れ、つづいて室町末期からの戦国の動乱で坊舎は焼失してしまいました。鎌倉時代の作といわれる本尊弥勒菩薩(みろくぼさつ)像と釈迦涅槃図(しゃかねはんず)(タテ2m45cm、ヨコ2m35cm本著色)と十王図は信者の手によって運び出され、その後小さなお堂を再建安置して、これを人々は弥勒堂と呼んでいました。
       
   美術的に価値の高い涅槃図と十王図は旧水尾、内瀬、真砂の3村が毎年交代で何百年の長きにわたって管理され、毎年3月15日にはご開帳して、涅槃会(ねはんえ)>が執り行われ、多くの参拝人で賑わいます。 
図は中央に横たわる釈迦(しゃか)を囲んで、多くの人と鳥獣が慟哭(どうこく)している情景がみごとに描かれ、自然と手をあわせてしまいます。
 この日は、早朝から、信者がお堂の掃除と仏像のお荘厳を行い、「弥勒さんの鼻糞」というあられを供えます。このあられは、餅に里芋を入れて搗きあげたもので色がやや黒っぽいが、煎ればよく脹(ふく)れ、砂糖のあまりない時代には味が甘いので子どもたちは喜んで食べていました。
参考資料:佐奈部農業資料館建設委員会「開館記念誌」/茨木市教育委員会「わがまち茨木」